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1階展示室

7.収穫の秋-塩崎遺跡群-

 千曲川近くの湿地では、春に播かれた稲の収穫が行われています。今年は大豊作で、人々の顔は明るく、石器を手に穂摘みに励む姿がここかしこに見られます。
 水田の開発や管理は、大きな労働力を必要とし、ムラ全体の共同作業となりました。時にはムラ同士の協力や争いもあったことでしょう。

8.弥生人の住居

 長野市北部の徳間遺跡で発掘された円形竪穴住居(直径5.5m)を基に80%の規模で復元したものです。中央の炉を中心にして7本の柱が円形に立てられています。住居の周りは土盛りをし、小屋組材は、樫や楢などを使い、全体を茅で葺いてあります。
 市内塩崎遺跡群では、イネ科植物で編んだ敷物が住居の床から出土しています。

9.シナノ(科野)の誕生

 3世紀末、近畿地方や瀬戸内海沿岸地方に盛土で造られた古墳が出現しました。やがて大和政権の確立とともに前方後円墳が地方へ波及していきました。
 千曲川流域に展開した独自の地域圏は次第に政治的なまとまりを示すようになり、4世紀後半には長野盆地の高い生産力とその支配を背景にこの地域の首長は、県下でいち早く大和政権の影響を受けて、前方後円墳の墓制を取り入れました。「科野」は8世紀初めまで使われていた古い国名です。

10.竹原笹塚古墳

 長野市松代町東条にある古墳の実物大の複製です。遺体を埋葬する石室は横穴式構造、天井石は両手を合わせたような合掌形になっています。墳丘は径12m前後の積石塚円墳と考えられています。
 合掌形石室は全国的にも特異な形態で、長野盆地に集中してみられます。特に国指定史跡の大室古墳群では約500基の古墳が群集し、そのうち合掌形石室が20基余りみられます。色々な特性を有する笹塚古墳は、長野盆地を代表する古墳の一つです。

11.信濃国の成立

 日本で最初に整備された法律である『大宝律令』が701年につくられ、7世紀後半以降中国の政治制度をもとに進めてきた中央集権的国家の枠組みがほぼ完成しました。
 信濃国では、国郡里制のもとに10郡がおかれ、長野盆地には更級・水内・高井・埴科の4郡に29の郷(里)が置かれました。
 最近の千曲市屋代遺跡群の調査では、この遺跡周辺に埴科郡家(はにしなぐうけ)(郡の支配を行う役所)や初期国府の存在が想定されています。

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