|
|
10周年記念講演会
皆さんこんにちは!私は今まで水のことを少し研究して参りました。水のことを研究する学問を水文学(「すいもんがく」と読みます)といいます。天文学は神様が天空に隠して書いておかれた伏せ文字を読みとる学問であるように、水文学は水の中に書かれてある伏せ文字を読みとる学問です。
さて、命は水の中で誕生しました。しかしそれが多すぎると命も文明も飲み尽くしてしまうし、足りなければ全てをミイラに変えてしまいます。そんな寡多の両極でなくとも、水に対する対応の姿勢が社会の構造までを特徴付けて来たとする学者もおります。このように、生命や文明、文化、社会形態にも密接に係わる水は古来、多くの伝承の中にも生き生きと語られています。一例を申しますと、古事記には八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した須佐之男命(すさのおのみこと)の伝説があります。大蛇は古代の自然河川の氾濫に見えませんか。これを退治した須佐之男命はこの大氾濫を制御した土木工学の元祖かもしれませんね。想像を絶するほどの大氾濫は莫大な量の土砂、石礫を窪地へと運び、そこに広大な氾濫原を作りました。洪水が収まるとあちこちに幾つもの浅い池が誕生しました。これらの池は氾濫の度に造り替えられました。こんな不安定な環境に蛙、ヤゴ、ゲンゴロウ等が適応して住み着きました。更に大きな適応者がいました。それは人間です。人間供は洪水を鎮め、氾濫原に残された湿地を水田に作り替えました。すると、蛙達は不安定な環境から早速、少しは安定な水田へ移って来ました。こうして水田は幾百年も続いた氾濫原と変わらない役目を生き物達の為に果たし続けて来ました。つまり生物多様性保全の機能を果たしてきました。この多様性保全は自然保護の別名と言ってもいいのです。この価値は正当に評価されるべきでしょう。ところが、その水田は現在、極めて短い時の束の間に生き物達にとって、とても住み難い環境に変わってきています。こうして生き物達は今、命を張って現代文明にものを申しています。私達は彼等の声に耳を傾ける必要があります。
さて、水の惑星と言われる地球には一体どれ程の水があるのでしょうか?或る学者の推定によりますと、その量は13.8 億 立方キロートルになるそうです。しかしその内の97%は海水で、淡水は僅か2.5%にしか過ぎません。こんな僅かな淡水の内の更に2/3程は南極や北極、それにヒマラヤを初めとする山岳域に氷河として固定されているそうです。ですから、この氷が温暖化によって溶解すれば、海水位は上昇して、水没する都市や村や島が現れます。決して夢物語ではありません。因みに最後の氷河であるウルム氷河は今からおよそ七万年ほど前に始まり、一万年ほど前に終わりました。その最盛期には陸地は厚く氷に覆われていたので海水位は今より140mも低かったと推定されています。逆に今から5―6千年前に温暖な期間がありました。その時の海水位は今より5−6メートルも高かったようで、これが世に言う縄文海進です。この水位がやがて目に見えない速度で低下を始め、現在の水位になる過程で、離れていた島が(水位の低下により)陸続きになるなど、國引きの物語をはじめ、エデンの園の誕生とか、多くの神話の舞台となったようです。ともあれ、水文循環を流れ、自然地理学的現象や生物現象、社会経済現象にかかわる水の量は極めて少なく、地球の全水量の0.029%に過ぎません。
日本の陸地上の全水量は24,540
億トンで、その内の約90%は地下水として存在しています。長野県のような山国では地表水は濁流と枯渇を繰り返して不安定なので、豊富で安定的な地下水に頼って発達してきた町や村が多いようです。この地下水の多くは地上から補給されますので、日常生活による地表水の汚染は地下水の汚染に通じます。一旦汚染された地下水を浄化するのは、そんなに簡単なことではありません。
地表水として容易に利用できる水量は残りの10%ですから約2,400億トンになります。この量がどれ程の量なのか、ピンと来ないでしょう。この水を日本の農業だけが利用したとしても六年間しか持ちません。しかし、万葉のそのまた昔から水はもうなくなった、と聞いたことはありません。それは水が常に循環しているからです。このように、有限と無限の接点は循環しかありません。こうして水は「循環」という有限社会の進むべき道の一端を私供に示してくれているようです。輪廻転生の考え方を知っている日本は、本来この循環はお手のものの筈です。
この水循環にとって緑の果たす役割は極めて大きいようです。森林は日本国土の約68%を覆っています。「文明の前に森林があり、文明の後に砂漠が残った」とよく言われます。この文明とは或る意味では便利さのことであって、生命を物質に変えることによって成り立ってきました。それでは日本の森林の状態はどうでしょうか?東海道五十三次を始め、昔の絵を見ると、緑はそれ程豊かではありません。茶色の山の上に松が二、三本。そのこちら側を飛脚が走っている、そんな絵をよく見かけます。それに比べると、今は緑がとても豊かな時代です。ある時、チェコの学者を案内して回ったことがあります。彼は終始、信州の緑の深さを褒めちぎりました。私は得意でした。やがて握手をして別れる時に、彼はこう言いました。「一番いい自然保護は材木を輸入することですね」。得意な私は、いきなり後頭部に金属バットの一撃を受けました。私達が利用している材木の大部分は輸入品です。よその國の木を伐採しているのです。つまり日本は自然破壊を輸出しているのです。里山にも原生的な自然植生を欲しいと思いますが、百年後の子孫が自然破壊を輸出しなくともいいような樹種の植林も同時に考えておかなければなりません。
この緑(葉緑素を持つ植物)は太陽からの物理的エネルギーを化学的エネルギーとして蓄える能力(同化作用)を持っています。地球上の何処かから原料を輸入して加工するのではありません。地球の外からのエネルギーを固定しているのです。この固定された太陽エネルギーは自然界における物質循環系の根底をなしています。その上に成り立つ喰う、喰われるの食物連鎖のピラミット構造の中では特定の生物だけが殖え続ける訳にはゆかず、共存共貧システムをなしています。またシステムを構成する各要素にはマイナスのフィードバックがかかって安定性が保たれるようになっています。更に、種の多様性によって物質循環系の信頼性が保たれているのです。こうして「共存共貧システム」、「安定性」、「信頼性」等は前に水から学んだ「循環」と並び、これからの社会のあり方に大切な示唆を与えているのではないでしょうか。 |
|
|