更新日:2025年3月6日
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「健幸(けんこう)増進都市・長野」を目指す荻原健司市長が、日頃考えていることや感じたことなどを市民の皆さんにお伝えする「市長エッセー」を広報ながのに掲載しています。ぜひご愛読ください。
「折れた!」。スキーのジャンプで転倒した後、大声で叫んだ。ジャンプ台飛び出し口の横で見ていた父に届けと大きな声を出した。父は私の声に驚き、ジャンプ台横の斜面を一気に駆け下りてくるなり「どこだ、どこが痛いんだ!」と、ものすごい形相で私に聞いた。「スキー板が折れちゃった、ごめんなさい」。その瞬間、父の顔、そして父の全身の力が緩んだのを見た。
子どもにとってスキー板は“とても高額なもの”と感じていた。それまで少年団から借りていたが、初めて自分の板を買ってもらった。小学6年生の時だった。うれしさのあまり、団の活動のない日もジャンプの練習に出かけた。といっても、場所は小学校の裏山。小さなジャンプ台があり、放課後、そこで父と合流した。ジャンプ経験のない父は「教えられない」と言って、黙々と雪踏みや台整備のために額に汗していた。
板を折ったのは雪が多く降った日。ジャンプ台には私と弟、そして父の3人だけだった。小さな台とはいえ3人で整備するのは大変な作業。ようやくジャンプを飛べるようになった頃には日が暮れていた。光を失い灰色となった雪の斜面はよく見えない。そのため、着地のタイミングがずれて転んでしまった。転んだ直後、買ってもらったばかりのスキー板が靴とともに外れ、斜面の端で雪に刺さって折れているのが見えた。自分の体にはなんの痛みもなかったが、折れた板を見て、とても悲しく申し訳ない気持ちになった。「叱られるかな」とも思った。しかし、父は折れたのは骨だと思っていたのか、それが板だと分かるとすぐに「また買えばいい」と言ってくれた。その時、私の顔が晴れたのを父は見たと思う。
この冬、うちの息子が「新しいスキー板が欲しい」と控えめな声で言ってきた。「まあ、背が伸びたから仕方ないけど高いんだぞ」と言ってしまい、ハッとした。子どもだって分かっていることなのに、なぜ「いい」とすぐに言えなかったのか。父が教えてくれたこと、やっと分かった。
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