更新日:2025年4月14日
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「健幸(けんこう)増進都市・長野」を目指す荻原健司市長が、日頃考えていることや感じたことなどを市民の皆さんにお伝えする「市長エッセー」を広報ながのに掲載しています。ぜひご愛読ください。
「長野市市歌を最後に歌ったのはいつですか」と聞かれたら、皆さんはすぐには答えられないかもしれない。かつては学校や地域の行事などで親しまれていた長野市市歌。現在は歌うことも聞くことも少なくなったと感じているのではないか。
市が主催する行事の中では、年に一度行う市表彰式で歌われている。長野市市歌は、作詞・戸枝ひろし氏、作曲・米山正夫氏で昭和42(1967)年3月29日に制定された。実は、この市歌には日本を代表する文化人とのつながりがあり、大変興味深い歴史がある。作詞作曲者は前出のとおりだが、この歌には寺山修司氏も名を連ねている。劇作家・詩人として時代を切り開いた彼が主宰した劇団「天井桟敷」では、過日逝去した美輪明宏氏が主演したこともある。そんな彼が市歌の補作詞をしていたことをご存じだろうか。
今、私の手元に市歌制定を担当した総務部作成の起案文書がある。日付は昭和42(1967)年3月13日。この起案文書の表紙をめくると、原作者の戸枝氏の語句を生かしながらも寺山氏が原作を変更した部分とその理由が本人の直筆で丁寧に書かれた文書が付いている。その一部を紹介すると、「原作の詩句のなかから、もっとも長野市を代表するもの、格調の高い、スケールの大きい・・・」や「善光寺の法燈(ほうとう)とともに長い歴史と、未来にむかって永久に繁栄してゆく姿をうたってみました」などとある。市公文書館に大切に保存されているこの起案文書を読み進めると、市歌は単なる歌を超えて市民に希望や勇気を与え、未来に向かって伸びゆくまちの姿が「見えるもの」として作られた物語なのだと思える。まさに劇作家としての表現が生かされた素晴らしい作品だと分かる。世代から世代へ歌い継がれていくことは、文化の継承そのもの。市民をつなぐ大切な財産である長野市市歌。この歌を未来へ引き継いでいくためにも歌う機会を増やせたらいい。来年は長野市制130周年でもある。
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