更新日:2023年5月1日
ここから本文です。
広報ながのに掲載している市長エッセーのバックナンバーです。
ようやく、マスクから解放されつつある。これまでおよそ3年間、マスク着用は生活そのものを息苦しく感じさせた。いよいよそんな暮らしから解放される。もちろんコロナウイルスには今後とも十分に留意することは大事だ。
思い起こせば日本では、新型コロナウイルス感染症が発生してからのマスクの着用定着は早かった。対して海外では、法律でマスク着用を義務化するなど、国民性の違いを感じたものだ。
最近、海外のスポーツイベントなどではマスクを着用している人は見られない。“ノーマスク”への切り替えが早いのも国民性か。
人の感情を読み取る時、欧米では口元に、日本では目元に注目する傾向があるという。そのため、欧米ではサングラスの着用に抵抗がなく、日本では口元を覆うマスクに抵抗がないのだとも。確かに、スキー場などではサングラスを着用する機会が多いが、人と会話をする際には、「サングラス着用のままでは失礼かな。」と思うことはよくある。
ところで、芸能人などの日常生活が話題になる際、帽子を目深にかぶり、マスクをしている姿が紹介されることがある。プライベートな時間では誰にも気付かれずに、落ち着いた時間を過ごしたいのは皆同じ。でも「誰かがこちらを見ているかもしれない。」と気になるため、帽子とマスクで姿を隠したいのではないかというのが私の見解。というのは、オリンピック選手時代の私がそうだったから。ただ、帽子とマスクで姿を隠そうとする自分自身に対して疑問もあった。「なぜ、人の目が気になるのか。なぜ、気付かれたくないのか。」と。
その疑問に明確な答えは出せなかったが、「人の視線など気にせずに自然体でいこう。」と心に決めてからはずいぶん気持ちが楽になった。
しかし、その時以来新たな問いに向き合っていることも事実。「自然体とは何か」。これにもなかなか答えが出ない。
先日、市に絵本が贈られた。寄贈者はフリースタイルスキーモーグル元日本代表の上村愛子さんだ。
物語には、雪で遊ぶ楽しさや、近年の地球温暖化の危機などが盛り込まれ、上村さんの想(おも)いがたっぷり詰まっている。絵は上村さん自身が担当したそうだ。絵本は各市立図書館に置くので、多くの皆さんに読んでいただきたい。
絵本といえば、子どもへの読み聞かせはよくした方だと思っている。4人の子どもたちに、私に読んでほしい絵本を選ばせては、寝る前に枕元で読んだ。読み進めるうちに眠ってしまう子もいたが、絵本から広がる世界を思い描き、物語のその先を楽しみにするまなざしに、読み手のこちらも気持ちが乗ったものだった。この春、一番下の子も小学3年生になる。もう家では、誰も絵本を読んでほしいと言わなくなったことが、少々寂しい・・・。
一方、進学を控える子が2人。希望する進路を初めて聞いた時、妻とともに「そうきたか」と驚いたものだった。親の思いをよそに、それぞれに自分の生き方を考えているのだと実感した。
ところで、わが家では、私なりに子どもたちに言い続けてきたことがある。それは「自分が進む道は自分で決めること」だ。当たり前のことではあるが、困難の多い人生を乗り越えていくためには、挑戦し続けることや、それを支える自分の強い意志や意欲が必要。人生を先に生きてきた者として、自身の経験や教訓、情報を判断材料として与えはするが、最終的に決断するのは「自分」としている。
わが子の決断は親の予想を超えはしたが、自分がよく考えた中で、希望に満ちた未来を見据えて決めたこと。だから、親の不安は尽きなくても、旅立つ日が来たら気持ちよく送り出したい。
この時季、まちは新たな挑戦に臨む若者たちで溢れている。自分の物語の新たなページを開こうとするエネルギーが周りにも伝わってくる。もちろん不安もあるだろう。でも、大丈夫。物語の主人公はあなたなのだから。
冬季は海外での生活が長かった。スキー大会出場のために一度海外遠征に出かけると、ほぼ市内の自宅に帰ってくることができなかった。ヨーロッパを中心とした海外での暮らしは、やや不便を感じたものだった。
まず、宿泊先では風呂に浸かることができなかった。浴室はシャワーのみで、浴槽がないところがほとんどだったからだ。しかし、その代わりによくサウナを利用した。ヨーロッパでは、宿泊施設にサウナが設置されているところが多い。フィンランド滞在時には、90度くらいの熱いサウナから、一気に外へ飛び出して氷点下20度の雪の中に飛び込んだものだが、これがたまらない。雪から顔を出して夜空を見上げると、たまにオーロラが浮かんでいた。
そして次に、洗濯機が使えなかったこと。宿泊先では、リネン類の洗濯を外部に発注せず、自前の洗濯機やプレス機で仕上げるため、客に貸しているとスタッフの仕事が進まないからだろう。そのため客室の洗面台で、小まめに手洗いした。絞った衣類を室内で乾かすことは、室内の乾燥を防ぐ上でも有効だった。眠っている間、乾燥で喉を痛めたら、大会どころではない。
海外での転戦生活は、日本との暮らしの違いから不便を感じたこともあったが、工夫をすればなんとかなったし、さまざまな知恵もついた。今となっては全てが良い思い出である。
ところで、長期遠征に出発する際、よく「米は持っていくのか」と聞かれたものだ。これは一度も持って行ったことがないのが事実。「郷に入っては郷に従え」で、パンやパスタなど、食べるものさえあれば困ったことはなかったし、遠征先のあちこちで食したものは全てが力になった。
ただ、帰国してすぐに飛び込んだ先といえば焼肉屋だった。が、多く食べていたのは肉よりも「どんぶりメシ=白米」だったかも。「日本人の体は米でできている」と誰かが言っていた。同感である。
スマホ*を使った支払いサービス、スマホ決済を体験してみた。マイナンバーカードの健康保険証としての利用申し込みと公金受取口座の登録をしたことで1万5千円分のポイントが付いた。それを使ってみようと思い付いたのだ。
実は、スマホを使った支払いはこれまでしたことがなかった。社会全体で、スマホ決済という仕組みが加速する中、これまで現金かクレジットカードで支払いを済ませてきて、不便も感じてこなかった。ただ、使い方が分からない、というのが本音。とはいっても周囲を見れば、スーパーで、コンビニで、タクシーで、スマホをかざして支払いを済ませる人たちの姿。ひそかに、憧れていた。いつか自分もスマートに支払いをしてみたい・・。しかし、初体験というものは、いや応にも緊張するものだ。うまく使えない姿をさらすのは恥ずかしい。周囲の目が気になる。
そんなためらいを抱えた日々が続く中、ついにスマホ決済デビューのチャンスが到来した。
先日、クリーニング店に行った時のこと。目に入ったのはスマホ決済の表示。私以外に客はいない。店員さんも一人だ。この時を逃すわけにはいかない。「あのー、スマホで支払いできますか?初めてなので使い方を教えてください。」
店員さんは、勇気を振り絞った私の様子を一切気に留めず、使い方を教えてくれて、あっという間に支払い完了。初体験はあっけなく終わったが、その便利さに感動すら覚えた。
以来、スマホを使った支払いが増えてきた。財布の中身も気にならなくなった。そして何よりも、自分もデジタル化の波に、わずかでも乗れたことのうれしさを感じている。デジタル社会のさらなる進展を望むが、「今さら聞けない」という人たちへのちょっとした背中のひと押しも大事だと感じているのは、臆病な私だけか。いやいや、「私もなかなか聞けなくて」という人も多いのでは。思い立ったときに、勇気を出して一歩踏み出してみてはいかがだろうか。
*スマホ…スマートフォン
「何に見えるかな?長野市のカタチ」アンケートを長野市LINE公式アカウントで実施した。これは、長野市のカタチが「馬に見える」という私と、市職員の「鳥に見える」との「見え方の違い」から始まったカタチ論争に、市民の皆さんにも加わっていただいたもの。
その結果はページ下段のとおりで、多くの回答を得ることができた。そこで、その結果の一部を紹介するとともに、結果から感じた私の思いをお伝えしたい。
まず、一番多かった回答は「鳥の仲間」でハトなど。次いで「犬の仲間」でプードル、シュナウザーなど。それに続いて「恐竜・怪獣」でプテラノドン、ドラゴンなど。多種多様な回答に、驚き、感動した。
ある小学校の先生は、社会科の授業の中で「長野市のカタチ」について子どもたちが考えた結果を回答してくれた。また、ある家庭では、子どもたちを含む家族全員で何に見えるかアイデアを出し合ってくれたとのこと。
私が投げかけた一つの問いに対し、いくつもの好奇心が生まれ、市内外のさまざまな場所で「長野市のカタチ」について考えを巡らせていただいたことは本当に嬉しく思う。
人は「抽象(長野市のカタチ)」から「具体(モノ)」を想像する際に、その人の固有の経験や記憶が深く影響するという。10代前後の子どもたちからの回答に恐竜や怪獣、ゲームキャラクターが多かったのは、図鑑やゲームの影響があるのかもしれない。また着物を着た人物が両手を広げ祈る姿と答えた50代の回答など、「なるほど・・」と思わせるものが多く、印象に残った。
私自身は、異なる見え方が多数存在することを通じて、あらためて社会にある多様性を再認識した。多様性ある地域社会を構築する上では、具体にとらわれ過ぎず、抽象的発想から、共通性を見いだすことができるのではないか。
そこで、「長野市に暮らす人々」を抽象、「人々のそれぞれの幸せ」を具体と想定し、抽象と具体とを行ったり来たり、考えることを繰り返しながら、まちづくりを進めれば、長野市はひとりひとりが幸せな、一つのまちになる、とアンケートへの協力に感謝しつつ、そう確信した。
毎朝いつも決まった場所でラジオ体操をしているが、雲の少ない日はそこから飯縄山がよく見える。
飯縄山は裾野が広くドンと構えた山で、見ていて気持ちが良く、そして元気が出る。これまで、この山には幾度となく登った。ゆっくりした登山ではなく、駆け足で。山を駆け登るのは、ノルディックスキー選手の持久力を強化する練習の一つとして、一般的なものである。最近では「トレイルランニング」と呼ばれ、その愛好者が増えているが、以前から山の中を走り続けてきた私には、仲間が増えてうれしいばかりだ。飯縄山の山頂まで、走って登れば50分程度。山頂に到着した時にはかなり汗だくになった。しかし、山頂から見下ろす長野市のまちの大きさが、登った疲れを癒やしてくれた。とにかく眺めがいい。ただし、一息つくのもつかの間で、体が冷えてしまう前に走って下る。登りは心肺機能の強化に、下りは脚の筋力強化に。行きは呼吸が苦しく、帰りは足にきてキツイが、その運動効果は抜群。わらべうたの「通りゃんせ」のように「行きはヨイヨイ・・」ではないが、「行きも帰りも大変」なのだ。
登山道は早春から秋にかけ、足下の残雪が解けて、落ち葉が顔を出す。そんな登山道の美しい移り変わりは今でも心に残る。残念なのは、スキー競技中心の生活だったため、冬の登山は経験がないこと。いつか時間をつくって冬にも登ってみたい。また違う景色に出会えるだろう。
日常の風景にある飯縄山は、この山に育てられ、鍛えられた私をいつも見守ってくれているように思う。そのため、ラジオ体操にもいっそう張りが出る。選手時代の苦しく辛い練習も、今では良い思い出となった。「飯縄山よ、今日も元気をありがとう。」
広報ながの先月号の「市長エッセー」に、長野市のカタチについて思うことを書いたところ、多くの反響があった。再度ではあるが、私には長野市のカタチは胸を張った馬が左側に向かって躍動する姿に見える。一方で、多くの市役所職員と同じように、広報ながのの読者からも、「右を向いて羽ばたく鳥に見える。」という意見が相次いだ。いよいよ私は少数派となってしまったのだろうか。まあ、それはそれで良いとしよう。私が思うに、長野市のカタチは縁起が良いのは間違いないのだから。
さて、ここで、一つのアイデアが湧き出した。「果たして、市内の子どもたちはどんなカタチに見えるのだろうか、何を連想するのだろうか、聞いてみたい。」ということ。特に、小学生くらいの子どもたちは、自分の暮らす長野市のカタチについてどんなことを連想するだろう。多種多様な見え方があるのだろう。馬なのか鳥なのか、あるいは恐竜や怪獣かもしれない。もしかしたらアニメのキャラクターかも。いやいや、こちらの想像をはるかに超える見え方もあると思う。そんなことを考えるだけでワクワクしてきた。
私の周りで勃発した“長野市のカタチ論争”は、いよいよ市内の子どもたちにも波及していくのか。さて、子どもたちの想像力はいかに。
ぜひ、皆さんの意見を聞かせてほしい。そこで、ご家族の協力をお願いします。お子さんに「なんのカタチに見えるかな。」と聞いてみてください。「私には〇〇に見えるけどね。」は無しで。
仕事柄、長野市全体の地図をよく見る。市内32地区の住民自治協議会の活動報告や中山間地域の振興計画、防災、産業振興などの事業計画など、市の施策説明の際には、必ずと言っていいほど地図が使われる。また、私自身、長野市での暮らしは30年以上になるから、おおよそ市の全ての地域の特色やまちのカタチは頭に入っている。
地図を見ると、いつもある動物を連想し、頭に浮かぶことがある。それは、「長野市のカタチは馬だな。」だ。胸を張った馬が左側に向かってたくましく躍動する姿と重なる。
しかし、このエッセーを書きながら、「もしかしたら、そう思っているのは私だけかもしれない。」と心配に。そこで、市役所職員も地図をよく見ているはずだから、私の意見に賛同してくれるだろうと思い、数名に聞き取り調査をしてみた。すると、思いもよらない意外な答えが返ってきた。「私には右を向いて飛んでいる鳥に見えます。」とのこと。「鳥!?」。
質問したほとんどの職員が鳥に見えると答えた。私のような馬派ではなく鳥派しかいなかったのである。鳥と言われると確かにそうにも見える・・。
採用後、職員研修などで「飛躍する鳥のカタチに見える長野市は・・」などと説明を受けるのだろうか、かなり刷り込まれていると感じた。しかし、もうここへきたら馬でも鳥でもよい。
かつて、市内の名馬の産地といわれた地域では、良馬生産の願いを込めた神事が長い歴史とともに受け継がれている。それを象徴する藁(わら)馬は地域の保存会員の手によって大切に作られている。また、市民憲章の最後の一節に「豊かに発展する未来へ向けて羽ばたく」とある。
馬のように躍動する長野市。鳥のように羽ばたく長野市。長野市のカタチが、とても縁起の良いカタチに見えることはどうやら間違いないのだから。
先日、市内の標高約千メートル地点にある市民菜園を訪れた。この市民菜園は、耕作放棄地の再生と、市街地と農村の交流に取り組む人たちが始めた事業である。
市街地から少し車を走らせた場所で、手軽に畑を借りることができ、またそのことで地域の課題解決への貢献にもつながる、なにより自分で野菜を栽培できるので、利用者の評判は良い。自分でおいしい野菜を作りたい、食べたいという人は多いだろうから、そんな希望を叶えられる本市の魅力を再認識した。
当日、その菜園利用者から「うちの畑のもの、持って行かない?」と声をかけられた。「もちろんです!」と即答。
フワッと柔らかく耕された畑に足を踏み入れ、案内された先には、なんと私の好物である行者(ぎょうじゃ)ニンニクが。丹精込めて栽培したものをたくさん分けていただくことに恐縮しつつ、ありがたく頂戴した。
たまに家族で市内の飲食店を利用したとき、店の人から「今朝、自宅の畑で採れた野菜を使っています。」と言われるとやっぱり嬉しくなる。こういったことは、都会ではなかなか体験できることではないと思う。
新鮮な水や空気、緑といった自然と共にある暮らしの中で、日常的に土に触れ、自分で作る野菜や果物を味わう。この地で暮らす人々の心の豊かさや温かさは、こんなところからくるのかもしれない、と感じながら帰路についた。
自宅に戻ってすぐに、採れたての行者ニンニクを細かく刻んで醤油漬けにした。アツアツご飯にちょっとのせて一口食べる。シャキッとした歯ごたえとニンニクの風味に覚えた幸福感。「ぜいたくだなあ。」と思わず声が出た。
先日、人間ドックの結果が届いた。人間ドックは胃カメラ検査や血液検査などを通じて、普段自覚症状のない病気を発見できる。検査結果は良好で、今後も心配なく仕事に打ち込めそうなので、まずはホッとした。
内臓などの体の内側は問題なしと分かったが、体の一部には不安が残る。不安の元は「腰」だ。実は、しばしば腰痛に見舞われる。激しい運動をした後や重いものを持ち上げた時、前かがみの姿勢を長時間続けた時など、注意をしていないと腰痛を引き起こすことがある。
スキー選手現役時代は、腰痛とは無縁だった。トレーニングや大会前後は、筋を伸ばすストレッチングを入念に行い、柔軟性のある体を維持していた。しかし、引退後は運動前後のストレッチングをおろそかにしていたため、柔軟性のない体に変化していた。
そんなある日のこと、自転車を持ち上げようとした瞬間に腰がピリリと痺れた。初めての体験に「今のはなんだ?」と思った直後から腰が固まりはじめた。人生初のぎっくり腰だった。友人の肩を借りて医者へ行き、腰回りにギプスを装着してもらった。しかし、翌朝は布団から起き上がることもできず、自分で靴下も履けず、その状態で講演会にも出席しなければならなかったため、だいぶ苦労した。
あれから20年ほど経過したが、痛みの痕跡というものは残るのだろうか。いまだに傷を引きずっているように思うし、こればかりは完治しないのかとも思う。もちろん、今の仕事や生活にはまったく支障はないが、十分な注意が必要であることは間違いない。
漢字で「腰」は“体の要”と書くほど大切な体の一部である。よく「頭の柔軟性は大事」といわれるが、「腰の柔軟性」もやっぱり大事だ。
仕事を終えて自宅の玄関ドアを開けると、いつもうちの子がうれしそうに飛び付いてくる。といっても、彼女はハスキー犬。5年前にわが家にやってきた。実は、私はずっと犬を飼わないと決めていた。子どもの頃、父に「決して犬は飼わない。」と言われていたからだ。私が生まれる前、犬小屋の鍵を閉め忘れたせいで飼い犬がいなくなるという苦い経験があったためらしい。自分に家族ができ、妻子から「お父さん、犬を飼いたいのだけど。」と幾度となくお願いされても断り続けてきた。ここは父親の威厳の見せどころ、「犬1匹だって大事な命。ウチでは飼いません。」と言い続けてきた。
数年前、諦めていたと思っていた妻子から、再び犬を飼いたいと相談された。すぐに断るせりふが頭に浮かんだ。しかし、今回は特定の犬種を希望しての相談だった。その犬種とはシベリアン・ハスキー。私はハッとあることを思い出した。スキー選手時代によく訪れた北欧の国々で見た、犬ぞりを引く複数のハスキー犬。いかにも雪国らしい光景とハスキー犬のキリッとした表情に「将来、もし犬を飼うとしたらハスキー犬だな。」と憧れたものだった。妻子からの相談を一度は断ったものの、ハスキー犬と一緒にクロスカントリースキーを滑る自分の姿が目に浮かんだ。数日後、生まれたばかりのハスキー犬を見に行くことになったのだが、“見るだけ”との約束を私自身が守れず、真っ先に「この子を引き取らせてください。」と言ったのだった。
あれから5年。憧れのハスキー犬は、しつけの苦労はすっかり消え、家族の癒やしとなっている。大きくなったわが家の子どもたちが飛び付いてくることはなくなったが、大きくなっても彼女は真っ先に「おかえり」を伝えてくれる。
あれから24年が経過したとはいえ、長野冬季オリンピックのことをよく思い出す。
日本選手団主将として、また、金メダル獲得を期待される者として臨んだ世界的な大舞台。大きな期待は、大きなプレッシャーとしてのしかかってきた。つぶれそうな重さに心がくじけそうになっていたのが本当のところ。
でも、そんな私に勇気を与えてくれた人たちがいた。それは、私たち選手のために寝食を忘れてオリンピック成功のために全力を傾けてくれた人たち。会場整理、輸送、警備などの運営や文化交流を通じて、大会を成功に導いてくれたボランティアの皆さんだ。ひたむきで献身的、自分の役割に真剣かつ丁寧に向き合う姿を見たとき、私こそが自分の役割としてこの大舞台を全力で戦わずしてどうするのだと強い気持ちを持つことができた。
3年前の令和元年東日本台風災害の際、本市は各地から集まったボランティアの皆さんの力に助けられた。その活躍に励まされた人たちは多い。
他者のため、社会のため、さらには共通の目標に向かうために貢献することに喜びや生きがいを見出そうとする人たちの姿は、人に勇気を与える。
くじけそうな自分が他者に勇気付けられた経験となった長野冬季オリンピック。深く心に刻まれた記憶は一生涯忘れることはない。
東京駅で新幹線に乗った。あさま号の乗客はそれほど多くなかったので、窓側に座る私の隣は空席だった。次の上野駅で通路を挟んだ反対側、窓側の座席に子どもが一人座った。小学校高学年の女の子だろうか。お互い窓側同士であり、それぞれ隣は空席である。私側の駅ホームにいる人物が窓越しにその子に手を振った。その子も私の存在など気にもせず、こちらの窓の向こうへ小さく手を振り返している。「お母さん行ってくるね。安心して。」と言っているような表情だった。
同じ日、わが家の長女が初めて上京していた。もう、中学3年生だから心配はないと思いながらも、駅で見送った妻から「無事に行ったよ。」とのメッセージが届いた時、安心感と同時にわずかな寂しさも感じられた。
長女を含めて4人の子を育てている。子育ての感動や喜びは多い。一方、苦労を感じるたびに早く独り立ちしてほしいとも思ってきた。しかし、娘がたった一人で出掛けて行った事実には複雑な思いがした。確かに「たった一人で」とは、中学3年生に対して過保護な感情だろう。でも、一人でポツリと新幹線に乗っている姿を想像してみると胸が締めつけられた。どこか遠くへ行く時がきてしまうのか。やっぱり、離れられそうもないのは親である自分の方だと改めてよく分かった。気が付けば、列車は上野駅からますます遠く離れていた。
お問い合わせ先
同じカテゴリのページを見る
こちらのページも読まれています