更新日:2025年3月12日
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平成7年度から平成16年度に実施した松代城跡第1期整備では、江戸時代の絵図資料や発掘調査をもとに、専門家を中心とした整備委員会を組織して検討を重ね、文化庁の指導を受けながら整備をすすめました。
松代城は享保2年(1717)の火災により建物がことごとく全焼しており、火災以前の歴史資料が乏しいため、整備では享保の大火後の再建から廃城までの姿の再現を基本としています。
工事では、太鼓門・北不明門の復元、石垣の修復、土塁・堀等の整備を実施しており、江戸末期の城郭空間をよみがえらせました。
本丸南側の正面に位置する門です。本丸に存在した3ヶ所の櫓門の中で最大規模の門でした。高さ11.8mの櫓門と「橋詰門」と呼ばれる高麗門、続塀を復元しました。
廃城以降順次埋め立てられ、整備前は位置すら判別しがたい状況でしたが、発掘調査の結果、内堀の範囲や形状が確認できました。整備では水堀としてよみがえりました。
本丸北側の裏に位置する門です。18世紀前半までは千曲川の河川敷に位置していたことから水ノ手御門の呼び名もありました。自立する櫓門と「枡形門」と呼ばれる高麗門と続塀を復元しました。
本丸内には、藩主が政治を行い、生活する御殿がありました。発掘や絵図資料から、御殿は数回建て替えられていたことが分かりました。今回の整備では、御殿の平面表示は行わず、調査で確認された礎石は土で盛って保護してあります。
本丸は石垣で囲まれていますが、二の丸は基本的に土塁で囲まれていました。また、東・南・西に配された3ヶ所の櫓門のほかに、土塁にトンネル状につくられた埋門と呼ばれる出入口がありました。
二の丸南側の出入口に位置する門です。整備では発掘調査と史料調査をもとに建物の一部表示、石垣の修復を行っています。
松代城跡第1期整備完了図
北不明門の工事の様子
よみがえった松代城
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