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1階展示室

1.長野盆地

 長野県の北東部にある長野盆地は、松本盆地に次いで県内2番目の広さがあります。東側の山地は、海底火山の噴火の後、約1400万年前に隆起が始まり1000万年以上の年月をかけて形成された山地です。
 一方、西側の山地は海底の堆積物がそのまま隆起し、70万年前以降に大地の運動と川の浸食でできた山地です。古い東側の山地と新しい西側の山地の間を埋めるように土砂が流れ込み堆積して盆地が形成されました。

2.姿を変える大地

 長野盆地周辺には、飯縄山や皆神山などの火山があり、また地震も多く発生しています。
 1847年(弘化4年)善光寺御開帳最中に起こった直下型の善光寺地震や、1965年(昭和40年)から始まった松代群発地震では大きな被害が出ています。一方、こうした地下のエネルギーは、有益な温泉という資源を私たちに提供しています。1985年(昭和60年)7月には盆地北部で大規模な地滑りが起きました。このように長野盆地は火山の活動、地震、洪水、地滑りなどの大地の運動や自然災害によって姿を変えてきました。

3.ゆれ動く大地~善光寺地震

 1847年5月8日(旧暦3月24日)夜10時頃、長野盆地の直下を震源とする推定マグニチュード7.4とされる大きな地震が起こりました。おりしも、善光寺は御開帳中で、全国から多くの参詣者が集まっており、その被害をさらに大きくしました。
  このコーナーでは、地震の様子を伝える文書や瓦版、地震を起こす鯰をモチーフにした「鯰絵」といわれる刷り物を展示しています。

4.はじめての人影

 長野盆地にはじめて人影がみられるのは、約2万年前以降のことです。旧石器時代の人々は盆地のまわりの山間部や高原地帯で移動しながら生活をしていました。この時代は現在よりも寒冷な気候で草原と針葉樹の森林が広がっていたようです。
 飯綱高原の上ケ屋遺跡では、湿地のまわりに石器をつくった作業場や石焼きバーベキューの跡などが発見されています。

5.狩りと採集の社会

 約12000年前には気候が次第に温暖となり、クリ・ドングリ・クルミなどの植物が繁茂し、シカやイノシシが生息する自然環境を舞台として、より高度で安定した狩猟採集社会が成立しました。 それまでの獲物を求めて移動する生活から、竪穴住居をつくって定住的なムラを営み、豊かな縄文文化を形成しました。
 盆地周辺の山間地には小規模な遺跡、平野部には拠点的な大規模な遺跡が展開していました。

6.稲作のムラ

 約2500年前頃に九州北部に伝来した水稲耕作技術によって、縄文時代の自然経済から生産経済に移行しました。 長野盆地に水稲栽培技術が波及したのは、約2100年前頃でした。千曲川流域の後背湿地に水田を開き、自然堤防に集落を営むという現在につながる農耕集落景観が成立しました。
 3世紀頃になると各地に定着した農耕村落は、次第に統合されて千曲川流域には独自の地域圏が形成されました。

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