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第62回特別展示
神と仏が宿る里-北信濃の山寺-


☆土曜日は子どもウェルカムデーにつき小・中学生無料
☆常設展示室と共通

<概要>

  古代から日本人の信仰形態はさまざまであり、その中の一つに「神仏習合」があります。これは神と仏を一体のものとして信仰することです。北信濃には、戸隠信仰や善光寺信仰といった、神や仏と交感する信仰形態がありました。
 本展示では「神」と「仏」がどのように融合し、またどのような信仰形態であったのかについて復元し、前近代における日本人の信仰の豊かさについて紹介します。

◇展示品一覧はこちら(PDFファイル 105KB)

<展示構成>

1.古代信濃出身の高僧

△金銅鉢(こんどうはつ)
重要文化財
平安時代 延長7年(929)
朝護孫子寺(奈良県生駒郡平群町)蔵


 銅板を打ち出して成形した鉢。鉢は僧侶が托鉢の際に用いる道具。口縁には線刻で延長7年(929)に前上総講師の寛運が聖徳太子の宝前に施入したことが記されている。後世になると「命蓮上人所持飛行鉢」として伝えられる。
△信貴山縁起絵巻(模本)
尼公の巻
(しぎさんえんぎえまき あまぎみのまき)
明治時代 19世紀
東京国立博物館蔵


 信貴山縁起のうち尼公の巻。信濃の姉が都に出た命蓮を探しに東大寺を訪れ、ここでの夢告によって信貴山の命蓮と再会するという内容である。本作品は明治時代に土佐派の画家・山名貫義が模した作品。


2.山寺の風景

△蔵王権現立像(ざおうごんげんりゅうぞう)
長野県宝
平安時代 12世紀
牛伏寺(松本市内田)蔵

 蔵王権現像は、役行者が金峰山で感得したと伝えられる尊像で、日本の山岳信仰の中で成立した。牛伏寺の蔵王権現像は鉢伏山の山頂直下の蓬堂に鉢伏大権現の御神体として祀られた像であると伝わる。雨乞いの祈祷とかかわっていた。
△十一面観音菩薩御正体
(じゅういちめんかんのんぼさつみしょうたい)
鎌倉時代 12~13世紀
牛伏寺(松本市内田)蔵】

 一枚の銅板を円形に裁断して円板を作り、ここに大きく十一面観音像を線刻で表している。円板の上方に吊耳が2つある。牛伏寺の本尊は十一面観音菩薩立像である。鉢伏権現社に納められていたとされ、本地仏として祀られていたと思われる。
△熊野那智参詣曼荼羅図
(くまのなちさんけいまんだらず)
江戸時代17世紀
髙圓寺(千曲市八幡)蔵
【前期のみ展示】


 那智の社景に参詣者や縁起上の人物等を配置した典型的な那智参詣曼荼羅図。折り畳まれ携帯されていた頃の折り目が縦横に残っており、実際に熊野比丘尼らによって使用されたものである。長野県における稀有な作例。
△熊野観心十界図
(くまのかんじんじっかいず)
江戸時代18世紀
東横田区蔵(当館寄託)
【前期のみ展示】

 画面中央に「心」字を置き、人界・極楽・地獄の様子を描いたもので、信心の持ちようで地獄にも落ち、また極楽にも行けることを説いた図。熊野比丘尼らによって持ち運ばれた。本図は長野市篠ノ井横田の十王堂に伝わった。


3.更級・埴科郡の山寺 千曲川流域の経塚

△経ヶ峯経塚出土品経筒(きょうづつ)
千曲市指定文化財
平安時代 承安2年(1172)
千曲市教育委員会蔵
【後期のみ展示】


 昭和50年(1975)に、戸倉駅東側の土取場の山頂から出土した。石組みの小石室、掌大の河原の石があり、小円丘も認められた。出土した経筒には銘文がある。これによれば承安2年(1172)に菅原秊孝が願主となって造立されたことが分かる。
△扇平出土密教法具
五鈷鈴・火舎香炉・六器・華瓶
(ごこれい・かしゃこうろ・ろっき・けびょう)
平安~鎌倉時代
明徳寺(千曲市羽尾)蔵
(さらしなの里歴史資料館寄託)
【後期のみ展示】


 千曲市の羽尾・扇平から出土した。林道開鑿の際に偶然発見された。冠着山とは峯ちがいの場所であるものの、何らかの関係が想定される。五鈷鈴、火舎香炉、六器、華瓶がある。これら密教法具の出土地については、経塚との関係が指摘される。
△古瀬戸四耳壺(こせとしじこ)
  鎌倉時代 13世紀
千曲市立更級小学校(千曲市羽尾)蔵
(さらしなの里歴史資料館寄託)


 更級・埴科地域で経塚がつくられた後、鎌倉時代になると墳墓が現れる。明治30年(1897)、仙石東福所(千曲市羽尾)から四耳壺2個体、五輪塔などが発見された。これはそのひとつである。これらから何らかの墳墓があったと想像される。
△普賢菩薩騎象像
(ふげんぼさつきぞうぞう)
江戸時代 17世紀
明徳寺(千曲市羽尾)蔵


 本来は明徳寺近くの普賢寺の本尊として伝来した普賢菩薩像である。普賢寺は元更級郡八幡宮神宮寺の末寺・門徒十三ヶ寺のうち、玉泉院の門徒であった。象の上の蓮台に坐し、衣を如来のように通肩に着け、高く宝髻を結い上げている。


4.小県郡「山家」の山寺

△馬頭観音菩薩坐像
(ばとうかんのんぼさつざぞう)
上田市指定文化財
鎌倉時代 13世紀
実相院(上田市真田町)蔵
【後期のみ展示】


 馬頭観音は通例では多臂の忿怒形に表されるが、本像は二臂で慈悲相の頭上に馬頭を戴く。両手は胸前で馬口印を結ぶ。馬頭観音像の変遷として、四面二臂の慈悲相に表されるのが最も古い図像とされるが、二臂の慈悲相はほぼ類例がない。
△十一面観音菩薩立像
(じゅういちめんかんのんぼさつりゅうぞう)
長野県宝
平安時代 2世紀
実相院(上田市真田町)蔵

 本来は、上田市真田町の山家神社の神宮寺である白山寺の本地仏であった。表面にノミ跡を残す仕上げや、頭上面の置き方などに、しばしば本地仏に見られる仕様が共通する。平安期に遡る当地の白山信仰を伝える貴重な存在である。


5.筑摩郡「麻績」の山寺

△金銅十一面観音・
釈迦・聖観音像御正体
(こんどうじゅういちめんかんのん・
しゃか・しょうかんのんぞうみしょうたい)
重要文化財
鎌倉時代 建長元年(1249)
岩殿寺(筑北村坂北)蔵
(東京国立博物館寄託)


 鏡板の上半部には宝瓶をもつ十一面観音、下半部の左右には聖観音、釈迦が蓮華座に坐る形で、それぞれ半肉彫りで鋲留めされている。裏面には針書銘があり、建長元年に金剛仏子幸万が三所権現への祈願のため造立した旨が記される。
△賓頭廬尊者坐像(びんずるそんじゃざぞう)
麻績村指定文化財
平安時代 応保元年(1161)
福満寺(麻績村日上井堀)蔵


 剃髪した僧形で、衣を通肩に着け坐る。顔には皺が刻まれ老相に表される。背面に「應保元年辛巳 十二月十一日己酉/麻續鍬山寺之ヲ造了」と刻まれている。本来は神像として造られたか、あるいは聖僧文殊像の可能性も考えられる。


6.高井郡「小菅」の山寺

△馬頭観音菩薩坐像
(ばとうかんのんぼさつざぞう)
長野県宝
平安時代 12世紀
小菅神社(飯山市大字瑞穂)蔵


 穏やかに整えられた忿怒の表情や浅く彫られた着衣、また控えめな肉取りなどから、平安時代に遡るとされる。小菅山元隆寺の本堂「加耶吉利堂」の本尊であったとされる。小菅権現は摩多羅神であり、馬頭観音が本地であると説かれる。
△涅槃・極楽・地獄図
(ねはん・ごくらく・じごくず)
飯山市指定有形文化財
江戸時代 17~18世紀
菩提院(飯山市大字瑞穂)蔵
【後期のみ展示】


 元元隆寺大聖院講堂の什物と伝わる。「涅槃像」を中幅として、向かって右に「極楽曼荼羅」、左に「地獄曼荼羅」を懸けたと想像される。蓋裏には、筆者は飯山藩初代藩主の松平忠倶(在位1639-1696)の家臣市川圓輔であると書かれる。(写真は地獄図)

<関連イベント>

ほんものゼミナール
「北信濃の山寺~古代の信仰を復元する~」
10/18(金) 10:00~11:30 
会場:長野市立博物館
※10/23から変更となりました。ご注意ください。


<図録販売予定のお知らせ>

 特別展示図録「神と仏が宿る里」


 ・発売予定日/9月26日(木)
 ・価格/700円

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