No.87 | 星の王子様をもとめて ~はやぶさの旅~
ちょっと大きな家ぐらいしかない小さな小さな星に王子様とロイドが住んでいました。小さな星は不思議なところですが、あまり変化のない日々に飽きていた頃、「はやぶさ」が近くの小惑星にやってくるという新聞記事を見ました。ロイドは早速調べて王子様にはやぶさのお話をすることになりました。 |
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No.86 | ようこそ!夢の火星ツアーへ
火星は昔から人々を魅了してきました。地球のすぐ外側を回る火星は2003年大接近です。火星ってどんな惑星なんでしょうか?火星には何があるのでしょうか?火星人はいるのでしょうか?火星に水や運河はあるのでしょうか?博士が皆さんを火星の世界へご招待します。 |
No.85 | 木星ワールド -見えてきた素顔-
惑星の研究は、望遠鏡で観察していた時代から探査機をロケットで打ち上げて惑星たちを直接探査する時代になりました。1973年と1974年にパイオニア10号、11号が、1979年にボイジャー1号と2号が相次いで木星を訪れました。そして今、その次の世代の探査機「ガリレオ」が木星のまわりを回って木星や木星の衛星たちを詳しく調べています。そんなガリレオ探査機の素晴らしい活躍の物語です。 |
No.84 | 君は宇宙人!?
ある日、小さな山火事が起こりました。その前に何か光るものが落下したという目撃もあり、宙は現場へ確かめに出かけました。宙はそこで墜落した宇宙船を発見し、さらには地球人に姿を変えた宇宙人「ミシャル」と遭遇しました。 |
No.83 | もっと光を! ヘールの夢 -パロマー山5m望遠鏡物語-
19世紀の終わりから20世紀の半ばにかけて、アメリカではヤーキス天文台(口径1mの屈折望遠鏡)」、ウィルソン山天文台(口径1.5m及び2.5m反射望遠鏡)、そしてパロマー山天文台(口径5m反射望遠鏡)が次々と作られました。すべて当時世界一の望遠鏡として活躍したものです。これらの天文台はひとりの天文学者によって生み出されました。その天文学者はジョージ・エラリー・ヘールです。ヘールはより大きな望遠鏡を建設し、もっともっと天文学の研究を進歩させたいという大きな夢を常に持っていました。ヘールのずば抜けた行動力や、他の人々の才能を最大限に生かす強力な組織力などの天才的能力が、ついに限界ともいえる5mの巨大な望遠鏡を誕生させました。 |
No.82 | エクスプローラーズ -マウナケアの探検家たち-
太平洋に浮かぶハワイ諸島。その中で最大の島ハワイ島にある標高4205mのマウナケア山は、かってハワイの人々が聖なる山として山の女神ポリアフを崇めるため、また石器を作るのに適したこの山にある独特な硬い石を拾い集めるために、山頂を目指して探検してきました。そして今、世界中の天文学者たちが宇宙を探検するために、この山の頂上を目指して集まってきています。マウナケア山頂には10以上もの最先端技術の粋を集めた天文台があり、宇宙に一番近い場所になっています。その中には世界最大の日本の「すばる望遠鏡」もあります。そんな素晴らしいマウナケア山頂へご案内します。(ハワイビショップ博物館制作) |
No.81 | アルバート・アインシュタイン -光と重力の不思議-
「相対性理論」という言葉は有名ですが、さて、それはどんな理論なのでしょうか?相対性理論を発表したのはアインシュタインです。アインシュタインは高速で運動すると物体の長さは縮み、時計は遅れ、その物質は重くなるなどたいへん不思議な現象を特殊相対性理論から予言しました。また、重力が強いとそのまわりの空間はゆがみ、時間も変化してしまうという事も一般相対性理論から予言しました。その中にはブラックホールの存在も示唆していました。これらのアインシュタインの理論の大部分は、アインシュタインの死後だいぶたってからその正しさが次々と証明されてきています。偉大なアインシュタインの生い立ちと、相対性理論の世界をみます。 |
No.80 | 不思議の国のオーロラ
舞台はカナダ北部。ここはオーロラがとてもよく現れるところです。長野市立博物館のアイドル?博士は今回、オーロラを見にカナダへやってきました。オーロラって何だろう?どうして北の地方でしか見られないのだろう?何が光っているのだろう?不思議だらけのオーロラです。何より不思議な気分になるのは実際にオーロラに直面したときでしょう。ローラの案内でオーロラの世界へご招待。 |
No.79 | 星が消えていく2001
長野市に住む健君の家にいとこの正夫君が遊びに来ました。夜になっても星があまり見えてこない空を不思議に思う正夫君。それが当たり前のように思っていた健君はお父さんから、昔はもっとたくさん星が見えていたということを聞いて驚き、どうして星が見えなくなってしまったのか考え始めました。 |
No.78 | 海王星発見物語 -アダムスとルベリエ-
1781年、イギリスのウィリアム・ハーシェルによって太陽系第7番目の惑星「天王星」が発見されました。その後の天王星の動きを観測していくと、計算される天王星の位置と実際の位置にずれが生じていました。その原因は、天王星のさらに外側に知られていない惑星があるからだという考えが有力になり、その問題に挑戦したのがイギリスのアダムスとフランスのルベリエでした。二人は別々に未知の惑星の軌道を計算し、ほとんど同じ答を出しました。ルベリエの依頼を受けたベルリン天文台のガレが1846年9月23日にルベリエが予想した位置で新しい惑星を発見しました。さあ、発見の栄誉は誰の手に? |