ホーム > 市政情報 > 情報公開 > 長野市公文書館 > 長野市公文書館-所蔵資料目録 > 新しい時代の幕開け(解説シート13)
更新日:2025年10月24日
ここから本文です。
祢津村は明治22年(1889)4月1日に、祢津東町、祢津西町、姫子沢村、新屋村、鞍掛村及び新張村が一つになって発足した。昭和31年(1956)9月30日に、田中町、祢津村及び和村が合併して、東部町となり、平成16年(2004)4月1日には、小県郡東部町と北佐久郡北御牧村が合併して、東御市が発足した。現在は、東御市祢津となっている。
祢津村は烏帽子岳の南西斜面に位置しており、野菜(蔬菜)栽培に適していて、空気も水も清らかな高原で作られた野菜(高原野菜)として売り出していた。その生産は100万貫と記載されていて、1年間で約4000トンにも上っていた。
昭和26年(1951)8月25日に発行された祢津公民館報第10・11合併号には、「祢津村に於ける農村不況の打開策!」の論説が掲載されている。その中で祢津村の現況を、「祢津村の農家戸数の百分率は88%の高率で、純農村の形態であり」、「水田は36.5%、畑は63.5%」と書いている。そして、「祢津村の立地条件で最も適しているものが高原清浄野菜」であり、「関西へ関東へ運輸の要点にある」ことで、高原野菜の将来は大きく期待できる、とも書いている。祢津村全村を挙げて、高原野菜に取り組んでいる様子がわかる内容である。

信毎ペンの庫
9・9・27
祢津村公民館報
お問い合わせ先
同じカテゴリのページを見る
こちらのページも読まれています